Paranoia Xp Perversity Point & Tics

一般 kilica 2005/7/18
引き続き PARANOIA Xp。 PARANOIA Xp では,Perversity Point という,いわゆるヒーローポイントのようなものが導入されています。 プレイヤはこれを使うことで,一時的に行動の成功率を上げることができます。もちろん,敵の行動の成功率を高くするとか,パーティのレーザの命中率を下げるのに使うことも出来ます。 このポイントは,次のようなタイミングで獲得することが出来ます。
  • シーンの最初
  • 他のプレイヤを楽しませる
  • Tics(癖)や秘密の技能(反逆的なことが多い)を楽しく使った場合,セッションの終わりに
  • 他のプレイヤが反逆的な行動をとったり,セキュリティクリアランスを超えたルール知識を使っているところを GM に指摘した場合
  • マスタの手助けになるような奉仕をした場合
  • 「洗練された」やり方で一緒に行動しているトラブルシュータを密告する
PARANOIA を遊ぶというのはいろいろな意味で難しく,特にはじめてプレイするときは「何をどうやって良いか分からない」「周りはみんな敵だ」ということで,かなりのストレスがかかります。 その結果,余裕のないプレイになったりしてしまって,PARANOIA としてはとてもまずい状態に陥ったりすることもあります。 そこで上手く使いたいのが Perversity Point,とりわけ,Tics(癖)です。 Tics はルール上,上手く表現できたらセッションの終わりにポイントをあげることになっていますが,演じる傍からぽんぽんあげていったほうがいいような気がします。 また内容も,サンプルとして載っているのは他愛のない,他人がすぐに気づくようなもの(気づくと鼻歌を歌っているとか)ですが,これもギャグ漫画の登場人物がもっているような強烈で,トラブルを引き起こさずにいられないものにしたほうが次々と愚かなイベントが発生していいのではないかと思います。 例えば,美女を見かけると尻尾を振ってついてていくとか,パズルに熱中しているときに話しかけられると(高位クリアランスの市民だろうがお構いなしに)キレるとか…。 はなっから「奉仕の会」の方々のような飛ばしっぷりでプレイできれば必要はないわけですが。

TRPG Search アンケート

一般 kilica 2005/7/11
TRPG Search の「RPGを始めたばかりの人にお奨めのブログは?」というアンケートで,以下のブログに投票がありました。 今回のアンケートは,出しておいて言うのもなんですがちょっと難しかったですね。 ブログって気軽に思いついたことや目に留まったものを書くことが多いので,特定のターゲットを意識したと思われるブログは多くないですからね。 さて,今月のアンケートは,「最も楽しく読めるブログは?」です。 投票の詳細については,ニュースをご覧ください。

New Rune Quest by Mongoose Pub.

一般 kilica 2005/7/6
瞬く間にあちこちで取り上げられた Mongoose Publishing による Rune Quest ですが,TRPG バトンで書いたとおり元々 BRP の方に関心があったので,BRP をベースにしたものになるといいなあと思っています(同じテイストのものなら別システムでもいいですが)。 Mongoose Rune Quest についてはこのあたりを参照。 [RQ] New edition from Mongoose Glorantha.com 更新1(「ルーンクエスト」の復活) Mongoose Publishing といえば,実は Paranoia xp も出していまして,こちらは今度マスタをやることになったのでルールブックを読んでる途中だったりします。 この出来がなかなかいいので,Rune Quest の方も期待。 内容は相変わらず愚かなんですが,xp では反逆者の告発がルール化されていて個人的にはうれしい。戦闘と同じステップを踏んで「告発」を進めてゆき,最終的にどれくらいコンピュータの不興を買ったか(ダメージを受けたか)を決め,それによってどんな処置がとられるかが決まるようになっています。 軽ければ罰金や罰ゲームみたいなのを食らって済みますが,重いと薬物療法,洗脳,処刑,クローン抹消(!)などに至ります。 でもって何をするとどれくらいヤバイかも一通り書かれていて,5版のときはイマイチそのあたりの判別がつかなかったのでたいへん参考になります。

TRPG バトン

一般 kilica 2005/7/3
いろとさんから回ってきたバトンです。

◆所有しているTRPGの数

えーたくさん。

◆最近お気に入りのTRPG

D&D 3e/3.5e

◆思い入れのあるTRPGを5タイトル

1)D&D 3e/3.5e あらゆる面でハイレベル。 ルールブックは分厚いのですが,「再現できること/ルール量」で考えると他の追随を許さないと思います。さすが M:tG を出した会社だけあって,統一感のあるルールに仕上がっています。 また,マスタをサポートするデータやチャートが抜群に充実しており,セッション準備に関して言えば他のRPGに比べて格段に楽です。 2)深淵 他のタイトルはいずれもシステム面に惹かれたものですが,『深淵』はほぼ唯一,背景設定に惹かれました。 システム面でも素晴らしいルール(運命,夢歩きなど)が多く,しかも明確なデザインコンセプトに沿ってそれらが組み込まれ,背景世界とも相まってオーケストラのようにセッションの中で機能していくのはすごいと感じます。 唯一,戦闘や魔法などの(周辺部分の)ルールがちょっとごちゃごちゃしすぎているように感じます。 3)ルーンクエスト 根幹の部分はそっけないシステムで,実際,背景設定のグローランサに注目が集まりがちですが,僕はシステムの方に興味を覚えました。 その素っ気無さが功を奏し,他のシステムに比べてカリカチャライズされている割合が低く,現実に近い感覚でプレイできるのが魅力なんだろうと思います。 4)ロールマスター サイコロを振っているだけで面白いゲームです。サイコロ(痛打表)を振る瞬間のわくわく感は一番。 5)Beyond/Far Roads to Lord Ars Magica を入れたいところですが,実際に遊んだことが数回しかないため,こっちにします。Bローズって書くと今はブルーローズを指してしまうのかな。 Ars Magica の魔法が学問的な性格を強く持っているのに対し,ローズシリーズはおとぎ噺に出てくるような,法則では割り切れなさそうな魔法を実に見事に再現しています。目指す方向性が違うので単純に比較はできませんが,魔法のルールとしてはこちらの方がずっと面白い。

◆気になる発売予定タイトル

  • 深淵2版
  • D&D4版(いつだ?)

◆バトンを渡す相手

いろいろなバトンが回ってて誰がどれを回答しているのか把握し切れていません(^ ^;。バトンを渡しますので,よろしければどんなRPGに興味を持っているか教えてくださいませ。

about "TRPG(中略)プリキュアを憎む理由(2.0)"

一般 kilica 2005/7/1
「D16 の日記」に掲載されていた「TRPG(中略)プリキュアを憎む理由(2.0)」について。 まったく同感です(プリキュアの部分でなくてキャンペーンの部分ね。プリキュアは観ていないのでノーコメント)。
 シリーズ構成も、伏線も、キャラクターの複雑な過去も、思わせぶりなライバルキャラも、PC同士の絡みも何もかも。    必要ない。
これだけ読むとちょっと誤解されそうなので,必ずリンク先の元の文章も読んでくださいね。 実に分かりやすくキャンペーンの魅力を言い当てていると思います。 「補足」「補足さらに」に書かれていることもさりげなく重要なポイントですね。

GMのやりがい

一般 kilica 2005/6/24
Deck of Many Things でも取り上げられていますが,TRPG.NET の TRPG 総合研究室で Purple さんが「そもそも、デザイナーが全責任を負うRPGは存在価値があるの?」という投稿をされていて,今まであまり意識しませんでしたが言われてみればそのとおりだなあと。
 セッションの面白さが、ゲームマスターが作るシナリオ・ゲームマスターのマスタリングによらないRPGができたとして・・・、はたして、ゲームマスターがそのようなRPGを遊ぶのか、はなはだ疑問です。    ゲームは、「難しい」から面白いのです。    ゲームマスターが何の努力もせずとも、プレイヤーを楽しませることができるとしたら、ゲームマスターとしては、面白くないです。  「プレイヤーを楽しませているのは、自分の力ではなく、ゲームの力なんだなぁ」  っておもったら、ヤル気がおきません。そうなると、ゲームマスターがそのようなRPGをマスターしなくなりますので、遊んでもらえなくなります。
同掲示板では理解不能な論法を振り回す人が若干名いてそろそろ読むのもやめようかと思っていた矢先だったのでぎりぎり間に合ったという感じ。 その後で巡回した Deck of Many Things でも同様の感想が述べられていたので,鋭い指摘と感じたのは僕だけじゃなかった模様。 現実には GM には余計な仕事がたくさん引っ付いているので,そういう意味でもっと簡単になるべきなのですが,サポートすべきところと残しておくところとはちゃんと見極めないといけない。

PC Gen on Tiger

一般 kilica 2005/6/24
Tiger(Mac OS X 10.4)にしてあれこれ不具合が起きたという話を聞いていたのですが,あまり考えずにインストール。 目立った不具合はありませんが,D&D のキャラクタを管理しているソフト,PC Gen が起動しなくなりました。 とりあえず放って置いたのですが,予想より早くレベルアップしたので使う必要が出てきました。 PC Gen を最新版にしてもやっぱり動かないので,Windows 版で代用。 Windows 版は UI がみすぼらしいのでしばらく使っていなかったのですが,処理速度がだいぶんアップしたように感じます。タブの切り替えなども一般のアプリと変わらないくらいに。

奇怪動物百科

一般 kilica 2005/6/24
三洋堂で見かけて購入。想像上の生き物や現実の生き物に妄想が加わって伝えられたものを挿絵付きで紹介しています。 アルスマギカ向けかな。

RPGにおける真剣勝負

一般 kilica 2005/6/20
白河堂さんの『神饌喰い。』の「Scoops RPG掲示板にて」のコメントより。
RPGの戦闘が面白いこと、建前はどうあれ現実問題としてRPGが戦闘メインのゲームとして遊ばれることが多いのは否定できない事実だと思うのですが、「バトルゲーム」と言い切ってしまうには、カードゲームとか対戦格闘ゲームに比べると競技性が低いことは否めないと思うのです。マスターの裁量に任されている部分が大きく、レギュレーションが不明確で、突き詰めていくと結局、RPGの戦闘って「片八百長」だよね?、というところに行ってしまう。
納得できる部分もあり,なかなか興味深い指摘ですが,そもそも GM vs パーティ を目指しているわけではないので,「片八百長」というのはちょっと変かな。 例えば跳び箱は跳ぶ人に応じて段を変えることができるようになっていますが,5段をかろうじて跳べるかどうかって人に「この跳び箱は10段まで増やせる。5段を跳んで喜んでいるのは八百長だ」というのは言葉として適切ではない,というのと同じ意味で適切ではないと思います。 その人にとっては5段であっても十分に挑戦しがいのあることであり,楽しめるからです(僕は跳び箱大嫌いでしたが(^ ^;)。 これが「二人でどっちが高い段を飛べるか」という競争だと話は違ってきますが。また,「5段はやっぱり無理そうだから4段に下げてとにかく跳べるようにしよう」とするとまた話は違ってくると思います。 もうちょっと例を挙げると,パズルは一般に解けるように作ってありますが,だからといってそれを八百長と呼ぶのは不適切だと思います。 でもって RPG のゲーム性ですが,M:tG をはじめとするカードゲームやボードゲームが持っている競技性に起因するのではなく,「いかにこのプロジェクトを成し遂げるか」とか「如何にロシアとの二カ国間協議で日本の主張を通すか」といったビジネスや政治の世界の課題解決に類似性があるとみています。 競争相手をおいて競技にするというのは真剣勝負をさせるための手っ取り早く確実性の高い手段ですが,競争相手がいないからといって真剣勝負にならないわけではありません。 ただおぞんさんの指摘も現実には当たっている部分があり,マスタの中にはあからさまに手加減していると分かるような運用をする方もいて,そういったプレイを多く経験していると「RPG は八百長」とか「出来レース」といった評価を下すようになっても仕方ないことです。 困ったことに,マスタが手を抜く運用に走るのには無理ない部分もあって,「”失敗”できるシナリオ」で指摘している問題が絡んでいます。

about ”「キャラクタープレイング論」その3 「物語の中のキャラクター」”(2)

一般 kilica 2005/6/18
引き続き,仮想光線さんの”「キャラクタープレイング論」その3”について。 原文などについては一つ前のトピックをご参照ください。 仮想光線さんはこの研究日誌をいちおうチェックされているようで,前回僕が出した疑問について丁寧に回答してくれています。できれば元記事に対するリンクも付けていただきたいのですが(^ ^;。
> 今のところ,キャラクタが魅力的であるための要素や条件についてはまとまった提示がない。 とのご指摘を受けました。なるほど、私の論はここら辺が十分に煮詰まっていません。
これはだいたい予想通り。本来仮想光線さんの主張に欠かせない重要なポイントのはずですが,それをずばり取り出して見せるというのは生半可な能力では無理ですからね。僕もそういったことはできませんし。 おそらく仮想光線さんの中には「魅力的なキャラクタとして成立する条件」が確固としてあるんだけど理解しやすいよう整理されていないという事だと思います。それは今後の投稿の中で断片的に明らかになっていくと思いますので,それを手がかりに再構築していく,というアプローチになるんでしょう。 たぶん前回の僕の日誌の中では判りにくかったと思いますので(読み直してそう思った),補足しておきますと,僕が知りたいのは「プレイヤはどこをがんばれば”魅力的なキャラクタ”になるのか」ということです。 ぱっと思いつくところですと,
  1. キャラクタを作成するときにがんばる
  2. プレイ中にがんばる
  3. どっちも同じくらいがんばる
という三つの方針があります。 例えば作成を重視するというのであれば,プレイロールドキャラクタはよろしくないとか平凡な設定ではつまらないからユニークなキャラクタを作れるようシステム側で工夫されているのが望ましいとかいった結論が演繹的に導き出せるわけです(挙げたのはあくまでも例なのでそこには突っ込まないでね)。

about "「キャラクタープレイング論」その3"

一般 kilica 2005/6/18
仮想光線さんが Scoops RPG にキャラクタープレイング論の第3弾を投稿していました。
Scoops RPG 「読者の声」の原文へのリンク 「キャラクタープレイング論」その1 「キャラクタープレイング論」その2 「キャラクタープレイング論」その3 「物語の中のキャラクター」 前回の感想 Re:「キャラクタープレイング論」その1 Re:「キャラクタープレイング論」その1(続き) Re: 「キャラクタープレイング論」その2
今回,前半はキャラクタの特徴,とりわけ性格について。後半はキャラクタをどう表現するか,そのテクニックについて,という感じ。 GURPS のキャラクタ作成システムは「物語創造」に向いていない,というのが前半のハイライトで,なるほど,その通りですが,改めて考えてみると元々 GURPS ってそういう設計じゃないので向いていないのも当然。なのでそれをもって「失敗」とするのはちょっとかわいそうかな。 僕が思うに「人物シミュレータ」でもない。もし「人物シミュレータ」を目指してデザインしたとすれば,「不利な特徴」なんてあまりにも偏っている。 ゲーム上の制約をプレイヤ側からデザインできるようにしたのが GURPS のキャラクタ作成システムで,つまりゲーム性を高めるための仕掛けの一つです。 Pendragon の Trait はプレイヤに訴えかけてくるものがとても強いというのは同感。1回しか遊んだことがありませんがとても良いシステムだと思います。 「PLが平等と言うこと」と名づけられた節は短いですが興味深く,当初僕が想定していたよりも仮想光線さんはラディカルに「物語創造」を考えているようだ,と思いました(節のタイトルは「PL」ではなく「PC」の間違いっぽいですが)。 問題は「プレイヤに対して平等」についてどう考えるか,という点です。大半のシステムでキャラクタの強さが平等になっているのは,戦闘シミュレーション云々は本質的には関係なく(PC が,ではなく)プレイヤが活躍できる機会を平等に与えるための措置です。 物語という観点からみると,PC の強さが平等というのは何の意味もない,というのはその通りだと思いますが,じゃあ,と PC の強さをばらばらにすると,弱い PC を割り当てられたプレイヤは一般に不満を持つわけで,「PC の強さはばらばらにすべき」と主張するのであればこの不満を解消する方法を提示することが必要です。 方向性としてはたぶん二つで,一つは「PCの強さ」と「セッションで活躍できる度合い」の相関を無くすようなシステムにすること。 漫画や小説などのフィクションでは(少なくとも最初は)何の力もない少年が主役を張っていたりします。ただそのシステムをRPGに落とし込もうとすると簡単ではありませんが,既に『深淵』がその実現にかなり成功していると評価しています。 もう一つは「活躍できる度合いが違う」ことで生じる不満を消し飛ばすような別の大きな満足をプレイヤに与えることです。 仮想光線さんの回答はたぶん「物語創造」がそれだ,ということになり,それは正しいと思いますが,その価値観を具体的にどうプレイヤに浸透させるか,を詰めないと絵に描いた餅になってしまうと思います。

FEARのRPGを受け付けないわけ

一般 kilica 2005/6/13
唐突ですが僕は FEAR 系の RPG が嫌いです。え,知ってるって? システムそのものはまあ良いというか NOVA などはトップクラスに入る出来の良いシステムだと思っているのですが,システムが想定している標準的な遊び方というか哲学が嫌いなのです。D&D で言えばダンジョンシナリオが嫌い,みたいなもの。 なので FEAR の RPG が「あんなのダメ」とか「クズ」とか言うんじゃなくって「嫌い」です。 それはなぜかというと,おそらく僕が RPG において疑似体験的な指向をかなり強く持っているからだと分析しています。 当然,疑似体験を妨げるような要素は極力排除したいと考えており,その阻害要因の最たるものが FEAR 系の RPG に付き物の「プレイヤの視点でセッションを進める」という考え方です。 そうではなくって「キャラクタの視点でセッションを進める」というのが僕のやりたい RPG です。 例えば,「登場判定」というのは「プレイヤの視点でセッションを進める」典型といえます。PC がその場面に登場する必然性に欠けるのであれば登場すべきではないし必然性があるなら判定なんていらないでしょう。 僕から見ると無理やり理屈をこねて登場させてもその時点で面白くなくなっちゃうんです。現実味を失って白けてしまう。 「登場判定」については「シーンに登場できなくってうだうだしているよりはまし」という「必要悪」としてならまだ受け入れないでもないですが(まあうだうだしている方がまし,というセッションも中にはある),「お話として面白くなる」とかいう理由でなされるものは拒否度がさらに高くなります。 「ご都合主義」とか「お約束」が大嫌いなのです。正確に言うと,「お約束だから」とか「こっちの方が話が面白くなるから」という理由で行動したり話を進めたりするのが嫌いなのです。 「こっちの方が話が面白くなる」なんてほとんどはその人の幻想で,単に「話を台無しにしている」だけです。 なので「結果的にお約束な展開になったね」ならまったくOK。 またハンドアウトで「セッションが進む中でヒロインと仲良くなる」という指示が書いてあったりするそうですが,これも受け付けられません。 ヒロインと仲良くなるかどうかはどんな出会いをしてどんな言動をするかをキャラクタの視点から観察して「ああ,これならこの PC は好感を持ちそうだ」と感じれば仲良くなるでしょうし「いけ好かないやつ」と感じれば無理に仲良くしたいと思いません。 無理に仲良く振舞ってもプレイヤにとってメリットがありません。「仲良くなる」という指示があるという事はきっと後でマスタがイベントシーンでも用意しているんでしょうが,無理に「仲良く」なってイベントが発生してそれでプレイヤは感動(というと大げさですが)できるんでしょうか? 形をなぞっているだけでそれって形骸化しているとしか僕には思えません。 似ているように思うかもしれませんが,「PC は既にヒロインと仲良くなっている」とか「PC はこれこれこういう女性がもろストライクゾーンだ」という設定であれば受け入れられます(あんまりな設定でなければね)。 「これこれこういう女性」がヒロインとして現れればたぶん仲良くなるでしょう。それが自然でありキャラクタにふさわしいと思うからです。 以上のように疑似体験を阻害する「プレイヤの視点からセッションを進める」スタイルは嫌いなのですが,一方で僕は現実主義者なので常にメリットとデメリットを天秤にかけます。上のような理想に反していたとしても,その理想をとるデメリットの方が大きければ妥協することもあります。依頼を引き受けないとその日暇になっちゃうとか……。 なので「必要悪」としてなら受け入れる準備があるのですが,FEAR の RPG はそうではなくって僕の嫌がるようなスタイルを積極的に推し進めているので嫌いなんですよねえ。相性が最悪です。

プレイヤのシナリオ

一般 kilica 2005/6/11
コンピュータの処理性能の向上によって最近では地球規模の減少をモデル化しシミュレートするという事も可能になってきましたが,依然として長期的な未来を予測することは不可能です。 昨年,環境・健康・社会などの専門家が集まり,どの問題を優先的に解決するべきかを話し合い「コペンハーゲン合意」というものを発表したそうですが,その中でも結局は,問題も対処法もはっきりしている課題(飢餓や HIV,マラリア)から順番に片付けていこう,という結論に。 これは,将来のことについては不確定な事柄が多すぎるため当然ともいえます。例えば地球温暖化についても,数十年後には化石燃料資源の枯渇によって温室ガスの排出が減るかもしれないし太陽活動の低下によって進む寒冷化と相殺されるかもしれません。 もっと身近に,自分の40年後に備えることを考えても,不確定要素は大きすぎます。変動を繰り返しながら現在程度の景気が続くのか,20世紀初頭のような恐慌が襲っているのか,年金制度は破綻していそうだけど,そもそもまだ生きているのかも怪しい。到底予測なんてできそうにありません。 そこで,正確な将来の予測の代わりにとられる現実的な解決策として,幾つかの「シナリオ」を描いてそれを比較検討し,最も適したシナリオに沿って行動していく「シナリオプラニング」と呼ばれる手法があります。 先ほど例に挙げた40年後に対する備えに当てはめると,「日本経済が恐慌に陥っていた場合」「日本経済が不況に陥っていた場合」「日本経済が現状を維持していた場合」「日本経済が高度成長期のような活況を呈していた場合」という想定のシナリオをそれぞれ分析・比較し,最も適当と思われるシナリオに対する対策を実行していくわけです。 じゃあどれをどうやって選べばいいんだ,という疑問がわいてくるわけですが,最悪のケースを想定してそれに対応できるようにする「予防原則」という方針と,想定した事態が発生したときの影響額に発生確率をかけ,対策費用と比較して採否を決める「費用便益分析」と呼ばれる手法があり,EU 諸国は前者を,USA は後者を採ることが多いそうで,確かになんとなくそんなイメージがあります。 以上が日経サイエンス2005年7月号の「不確実な未来をどう扱うか」という記事のあらましで,記事では第3の方針である「頑健な戦略」をとるのが良いという主張が出ていますが,興味がある方は買って読んでください。 日経サイエンス2005年7月号 でこっからが本題です。もちろん RPG の話です。 「先を考えるプレイ」で書いたように,「問題が起こってパーティが呼ばれて対応することになった」という構造のセッションよりも「パーティが現状を分析した結果,深刻な問題が発生することが予測されそれに対する対応をとることにした」という構造のセッションの方がゲームとして面白くなるだろうと考えています。 つまりプレイヤが現状を分析し,「シナリオ」を描いて比較検討し,対策を実行する,というセッションになるわけです。 ただ,プレイヤたちがシナリオを描けるほど十分に現状についての情報をマスタ側で準備・提供できるか,という問題があり,テーマによって向き不向きはあるだろうと思います。 また多くのプレイヤ(僕もそうだけど)はそういったプレイに慣れていないというか「自分でシナリオを描く」という発想からしてそもそもありませんので,プレイヤたちがそうしたスタイルに慣れるまではマスタ側からの相当のプッシュが必要になると思います。さもなくば「自由に動いていいといわれたけど何をしていいか分からない」という例の困った状態と同じ事態に陥ってしまうでしょう。 どうすればこういったセッションが上手く機能するかについても,今後考えてみたいと思います。

about \" It is OUR world.\"

一般 kilica 2005/6/6
先週は深夜勤務などがあってあまりサイトのチェックなどできませんでした。 Tales of the Dragon\'s Tail\"It is OUR world\"Deck of Many Things で取り上げられていなければ完全に見落としていました。 ここで例として取り上げられているトロウルへの対応は見事。このエントリはブックマークしておきたいですね。 実は,僕が遊びたい「キャラクタプレイ」ってここに書かれているものとぴったり一致しているといっても良いくらい。 「キャラクタ」を中心に楽しむのならせめてこれくらいの深みはもたせたいものだと思うのですが,巷のリプレイなどを見るとどうもステレオタイプとお約束とご都合主義で塗り固めたようなキャラクタが多くて,どうも何を「キャラクタプレイ」と呼ぶかについてズレを感じます。 しかし Rune Quest だとこんな風に遊んでみたくなるんですが,D&D だとそういう気分にあまりならないのは何故かなあ。

Re: ミニゲームデザインという生き方(神饌喰い。)

一般 kilica 2005/5/31
『神饌喰い。』「ミニゲームデザインという生き方」で白河堂さんが書かれていた
>考え方  考え方はまったく同じだと思います。  ただ、ここで自分が強調したいのは、 「んじゃ、やってみる?」  と、すぐにシーン独立型セッションを立ち上げられる準備をしながら生活しているゲームマスター人口を増やす、ということですね。つまり、自分が本当に求めているのは、シーン独立型セッションではなく、シーン独立型ゲームマスターである、ということです(笑)
についてです。  「なるほど,すごい」と思いました。僕には出来そうにないなあと思ったからなのですが,でもなんで「出来そうにない」と思ったのだろうか,というのを考えてみました。  同じようなケースで,ボードゲームであればできます。大学のサークルで,4,5人集まれば『ファーストフード・フランチャイズ』や『アクワイア』をよくやっていました。また2人でも『マジック・ザ・ギャザリング』を遊んだり。  これは別に特定のゲームをやろうと意気込んで集まったわけではなく,ちょっと暇な連中がたまたまそろったので「じゃあやろうか」ということになって,実際に始められるわけです。  ところが RPG だとそうは行かなくって,いろいろ準備が必要になります。プレイヤにはキャラクタが必要ですし,マスタにはシナリオが必要です。このうち PC はプレロールドで済ませることもできますし,クラシックD&Dあたりなら作るのにさほど時間もかかりませんので,その場で作ることで解決できます。  しかしシナリオのほうは(僕にとっては)そう簡単にはいきません。そりゃ僕だってフルアドリブでそれなりのセッションはこなせますが,シナリオの作っていないセッションというのは認められないのでやろうと思いません(このあたりについてはまた機会がありましたら)。  別の方法としては市販のシナリオを使うというのもありますが,それだって事前にそれなりにシナリオを読み込まないと安定して楽しむことはできません。  ボードゲームはちょっと集まればすぐに始められるのに RPG はそうは行かない。なぜ RPG はシナリオが必要なのでしょうか?  ボードゲームの場合,ゲーム性を提供する要素は二つあって,それはサイコロや伏せられたカードによる「ランダム性」と「競争相手」です。  「ランダム性」は,例えば1回の手番を使ってイベントカードを引くか,とっとと先に進むか迷わせる,といった葛藤を提供します。いいカードを引けば選択は正しかったといえますが,つまらないカードを引けば1回を無駄にしてしまいます。「ひいてみるまで結果が分からない」という不透明性がゲーム要素を提供するわけです。これは RPG にも当てはまり,「戦った方がいいか逃げた方がいいかはダイスを振ってみるまで分からない」といった状況がそれにあたります。  一方,ボードゲームのもう一つのゲーム性である「競争相手」はほとんどの RPG には欠けている要素です。  競争相手の存在によって,ゲームの先の展開が読めなくなり,それがゲーム性となります。将棋などの完全情報ゲームのゲーム性はもっぱらこの要素からなっています。  一方,RPG でその代わりを果たしているのがシナリオ(とそれを運用するマスタの存在)です。シナリオがどう展開するか見えないため,プレイヤは悩むことになるのです。例えば,ダンジョンの残りの部屋が1つなのか3つなのかで,魔法やアイテムをどれだけ使うべきか変わって来ますが,マスタには分かってもプレイヤには分かりません。そこで安全策をとるか全力を投入するか悩むわけです。  同じシナリオをプレイヤとして何回も遊ぼうとするとあまり面白くならないのは先の展開が見えて葛藤にならないからです。言ってみれば,相手がどう動くか予め確定してわかっているボードゲームのようなものですね。  このように,RPG の場合はゲーム性を確保するために毎回違うシナリオを用意する必要があります。一方,多くのボードゲームでは,ゲーム性は対戦相手の存在が提供してくれるので,同じボードで何回も遊ぶことができます。  この構造が理解できれば,とるべき道も幾つか見えてくるのではないでしょうか。  一つは,PC 間の競争を取り入れ,何度も遊べるようなシナリオを作ることです。『深淵』の「落雷」がこのようなシナリオの代表といえます。  もう一つは,作れるのかどうかわかりませんが(^ ^; シナリオのごく一部のパーツを変えるだけでまったく違った様相を見せるシナリオを作ることです。カオスな振る舞いをするシナリオですね。  単純な例を出すと,同じシナリオでも A の味方として遊んだ場合と B の味方として遊んだ場合でぜんぜん違ってくるとか。  三つ目の方向性としては,「ランダム性」を突き詰めたシナリオにすることです。たぶんこれが一番簡単でハック&スラッシュの戦闘だけのシナリオがその代表といえるかと思います。

Paranoia xp: Flashbacks

一般 kilica 2005/5/28
Amazon.co.jp で \"Paranoia xp: Recycled\" を注文したらこれが届きました。ISBN は一緒なのでタイトルが変わったのかな。 表紙も amazon.co.jp とは違っていて,ボッティチェルリの『ヴィーナスの誕生』をパロった代物になっています。内容は 1980 年代の Paranoia の古典的シナリオの xp 向け復刻。当然読むことが許されるセキュリティクリアランスはUVだ。
  • Mini-missions
  • Vapors Don\'t Shoot Back
  • \'The YELLOW Clearance\' Black Box Blues
  • Send in the Clones
  • Me and My Shadow Mark 4
  • Alpha Complexities
  • Code 7s
まあお買い得なのではないかと思います。特に僕の場合,Paranoia のシナリオを上手く作れる自信がありませんしね。

ダークエイジ

一般 kilica 2005/5/23
東 犬二,『ダークエイジ』,宙出版,2005 中世ヨーロッパを舞台にした …… エロ漫画です(作者によると12-16世紀)。 裸の女性が磔になっている表紙なのでそのことはすぐ分かりますが,よくよく見るとどこにも「18禁」とか「成年向」とか書かれていません。しかし中身はどう見てもエロ本です。最近は表示しなくなったのかな。 でもって中身はエロ本にしておくのはもったいないくらい背景や建物,衣装が描きこまれています。 お話も中世の社会的背景に根ざしたものばかりで,結構マニアック。 巻末には各エピソードの社会的背景について簡単な解説が付されていて,いったいどんな読者を想定しているのか謎です(笑)。

Re: 「キャラクタープレイング論」その2

一般 kilica 2005/5/17
 Scoops RPG の「読者の声」に仮想光線さんのRe: 「キャラクタープレイング論」その2が掲載されました。その1はちょっと前に取り上げました。今回もなかなか面白いので取り上げてみます。  Scoops RPG にもトラックバックできるといいんですが。
Scoops RPG 「読者の声」の原文へのリンク 「キャラクタープレイング論」その1 「キャラクタープレイング論」その2 前回の感想 Re:「キャラクタープレイング論」その1 Re:「キャラクタープレイング論」その1(続き)
 最初に,全体的な感想としては着眼点は前回同様,なかなか興味深いものがあり,考えさせます。  しかしこれまた前回同様,敷衍する例示が不適切で論理展開も詰め切れていない部分が見受けられ,「「より面白い物語創造をする」のが RPG の目標である」という根幹の主張についてはやや説得力に欠けます。がここで事細かにあげつらっても益はありませんので,仮想光線さんの指摘を発展的に捉えてみたいと思います。  さて,今回はまず最初に,RPG を遊ぶ「目標」は「より面白い物語創造をする」であるとしています。この「物語創造」という言葉が適切かというといささか怪しいと思いますが,ともあれこの一文はもちろん非常に重要です。”RPGの本質はゲームでありすなわち意思決定である”というのが馬場講座を支える土台であり,それを首尾一貫して講座の中で展開していったところに馬場講座の力強さがあると僕は見ているのですが,その土台の代わりを提示しているわけです。  上手くやれば RPG の別の面が見えてくるかもしれません。  で,仮想光線さんの主張をばっちり理解できているかと言うとイマイチな部分もあるのですが,もともとの文章が馬場講座を意識したものになっていますので,それぞれが RPG をどう捉えているかを対比してみましょう。 ゲーム性重視と物語重視の対比  すぐ分かるかと思いますが,左側の青い方が馬場さんのRPGの捉え方を図にしたもので,右側が仮想光線さんの方を図にしたものです(正確には馬場さんがRPGをこう捉えていると僕が理解している,ですが)。  簡単に説明しますと,馬場講座での RPG の捉え方は次の通りです。
 RPG はゲームである。ゲームである以上,意志決定が最も重要である。その意志決定は,
  • 葛藤
  • アカウンタビリティ
  • 結果に対する責任
を要素として備える。  そして RPG は,この最も大切なゲーム性を支援する方向でデザインされる(べきである)。すなわち,
  • システム
  • 背景設定
  • シナリオ
のいずれもが,よりよい意志決定を支援するようデザインされているのである。
 いっぽう,仮想光線さんの主張をこれに対比させると次のようになります。
 RPGは物語創造の遊びであり,物語創造にとってはキャラクタが魅力的であるというのが最も重要である。今のところ,キャラクタが魅力的であるための要素や条件についてはまとまった提示がない。  そして RPG は,この最も大切な物語創造を支援する方向でデザインされる(べきである)。すなわち,
  • システム
  • 背景設定
  • シナリオ
のいずれもが,より魅力的な物語創造を支援するようデザインされているのである。
さて,僕は仮想光線さんの図にあるように RPG はデザインされていないと思っています。少なくとも,今の RPG がそうだ,というのであれば,無駄な部分が多すぎるし必要な部分は足りないと思っています。しかし,徹頭徹尾,仮想光線さんの提示したコンセプトでデザインされた RPG というのもなんだか非常に面白そうで見てみたいという気はします。

クトゥルフ・ダークエイジ

一般 kilica 2005/4/23
\"クトゥルフ・ダークエイジ\" クトゥルフ RPG のヴァリエーション。ダークエイジは中世ヨーロッパのことで,時代は紀元 950 ごろを扱っています。ちょっと珍しい年代ですが,千年紀の終わりに設定したかったという事でしょうか。 ベースシステムは D100(ベーシックロールプレイング)の方ですが,邦訳は新紀元社から出ています(新紀元社が前に出したのは D20 版クトゥルフの邦訳)。

フェイルーンのモンスター

一般 kilica 2005/4/22
\"フェイルーンのモンスター\" フォーゴトンレルムのモンスター集。4,000円というのはちょっと高い気がします。ふつうに遊ぶ分には基本のモンスターマニュアル1冊で困ることはほとんどないでしょうから。 この中からモンスターを出せばフェイルーンらしさがもれなく出せる,というのであればいいのですが,そうとも言いがたい。 むかし5レベルくらいのパーティに,この中から脅威度5の Banelar というモンスタを選んでぶつけたところ,えらく不評でした(^ ^;。