2005/4/14 6:55
Re: 「キャラクタープレイング論」その1
4月の ScoopsRPG が更新されました。
その中で興味深く読んだのが,「読者の声」の「キャラクタープレイング論」その1 (by 仮想光線)です。
やはりキャラプレ指向な人との隔たりは大きいようで,内容そのものは全然賛同できないのですが,RPG というものを考えるにあたって良いきっかけとなりました。
最初に,キャラクタプレイや「なりきり」が RPG において推奨されることであるという証拠として次のような論を展開しています。
ところが,これは仮想光線さんの主張(「有名なキャラクタになってみたい」)を敷衍する例としては不適切です。原作のキャラクタを遊ぶ RPG で成功したと言えるものはありません。日本ではそもそもそういった RPG そのものが少なく,MAGIUS くらいではないでしょうか。
原作のキャラクタを遊ぶというのは,TRPG の遊び方としてメジャとは到底言いがたいでしょう。
原作付きの RPG と言った場合,システムが再現しようとするのはキャラクタではなく世界であり,また世界観です。「ガンダルフになってみたい」ではなく「ガンダルフのいたあの世界でガンダルフのような活躍をして遊んでみたい」なのです。RPG が誕生した頃も今も変わりません。
やはり「なりきり」は RPG の指向とは,ずれた指向と言えます。
ここで考えたいのは「何故 RPG では原作キャラクタで遊ぶシステムが勢力を持たないのか」という点です。
僕がいま考えている仮説が「RPG のプレイヤには自分のキャラクタを表現したい,もしくはキャラクタを通して何かを表現したい,という欲求がある」というものです。
原作キャラクタでは,原作のキャラクタ以上のものは表現できません。仮に表現したとすれば,それは「原作のキャラクタらしくない」失敗と見做されてしまうからです。
その中で興味深く読んだのが,「読者の声」の「キャラクタープレイング論」その1 (by 仮想光線)です。
やはりキャラプレ指向な人との隔たりは大きいようで,内容そのものは全然賛同できないのですが,RPG というものを考えるにあたって良いきっかけとなりました。
最初に,キャラクタプレイや「なりきり」が RPG において推奨されることであるという証拠として次のような論を展開しています。
「あなたはガンダルフになってみたいと思いませんか?」
昔から、MERP、ストームブリンガーやクトルゥフのように原作の小説に立脚したTRPGもたくさんあります。
これらでは、PCは物語のキャラクターであることを強く意識させられます。
確かに、TRPGの出身母体はウォーゲームであります。
しかし、ウォーゲームであっても
「山本五十六になって鬼畜米英を打ちのめしてみたい」
が、ウォーゲームを遊ぶ主たる理由であるのではないのでしょうか?
この物語、歴史上の人物の「なりきり」をより深く楽しみたいというのがTRPGの出所であると、私は認識しています。
ところが,これは仮想光線さんの主張(「有名なキャラクタになってみたい」)を敷衍する例としては不適切です。原作のキャラクタを遊ぶ RPG で成功したと言えるものはありません。日本ではそもそもそういった RPG そのものが少なく,MAGIUS くらいではないでしょうか。
原作のキャラクタを遊ぶというのは,TRPG の遊び方としてメジャとは到底言いがたいでしょう。
原作付きの RPG と言った場合,システムが再現しようとするのはキャラクタではなく世界であり,また世界観です。「ガンダルフになってみたい」ではなく「ガンダルフのいたあの世界でガンダルフのような活躍をして遊んでみたい」なのです。RPG が誕生した頃も今も変わりません。
やはり「なりきり」は RPG の指向とは,ずれた指向と言えます。
ここで考えたいのは「何故 RPG では原作キャラクタで遊ぶシステムが勢力を持たないのか」という点です。
僕がいま考えている仮説が「RPG のプレイヤには自分のキャラクタを表現したい,もしくはキャラクタを通して何かを表現したい,という欲求がある」というものです。
原作キャラクタでは,原作のキャラクタ以上のものは表現できません。仮に表現したとすれば,それは「原作のキャラクタらしくない」失敗と見做されてしまうからです。