2005/4/17 5:15
Re: 「キャラクタープレイング論」その1 (続き)
前回のつづきです。
取り上げていた記事は,こちら。
「キャラクタープレイング論」その1 (by 仮想光線)
Deck of Many Things の 2005.04.16 の記事「[Link] So-called "Character Playing" 」で取り上げられましたが,同日の記事「[Link] Delights of GMing 」では,
と書かれていて,これが前回の最後で書いた
と微妙に絡んできたりします。
最近は D&D3/3.5 のプレイヤがメインで,上の power-gaming を主に楽しんでいるわけですが,この場合「自分のキャラクタを表現したい,もしくはキャラクタを通して何かを表現したい」の「何か」というのは,「自分のキャラクタが上手く機能すること」つまり「冒険をこなす上でパーティの役に立てること」であり,要するに D&D3e では「戦闘で役に立つこと」です(単純化して言えば,ですが)。
これは「キャラクタを適切にデザイン(取得する特技や技能,上級クラスを取捨選択)すること」と「セッション中に,デザインしたとおりに適切に運用して力を発揮すること」の二つのパートに分かれます。
で,D&D3e だと膨大なルールがありますので,自分のクラス以外はほとんど未知の領域(読んでられません)であり,他のプレイヤがどんなキャラクタを作ってくるのかとても楽しみです。上手いプレイヤはこちらの予想を2段階くらい上回るキャラクタを作ってきてびっくりしますし宮本さんが指摘している通りとても面白い。
状況はマスタにとっても一緒ですべての特技や上級クラスを把握するなんてできないので「なんじゃそりゃー」ってキャラクタが多いようです。まあプレイヤみたいにのんきに喜んでばかりもいられず,シナリオの調整には四苦八苦しているようですが。
一方で,キャラクタプレイが好きな人と言うのは,例えば仮想光線さんの文章で取り上げられている例を見るに,
を参加者に鑑賞して欲しいと感じているようです。
また,ルーンクエストや深淵のようにキャラクタの背景や心情を深く設定するような RPG では,
といった点が「RPG のプレイヤには自分のキャラクタを表現したい,もしくはキャラクタを通して何かを表現したい,という欲求がある」の「何か」に当たります。
**
このように,強い RPG を好む人たちにしてもキャラクタプレイ愛好家にしても「RPG のプレイヤには自分のキャラクタを表現したい,もしくはキャラクタを通して何かを表現したい,という欲求がある」という点では共通しているのではないか,というのが前回の日誌で出した仮説です。
でもってこの着想は,実は白河堂さんの「『Scoops RPG主催 RPG全国共通一次試験』」に対する回答(特に設問3の回答)を作っていく中で浮かんだ考えがベースになっていたりします。
って辺りですね。
取り上げていた記事は,こちら。
「キャラクタープレイング論」その1 (by 仮想光線)
Deck of Many Things の 2005.04.16 の記事「[Link] So-called "Character Playing" 」で取り上げられましたが,同日の記事「[Link] Delights of GMing 」では,
なるほど、power-gamingの楽しさというのは、ゲーム性云々ではなくDMの味わう驚きという側面から改めて再評価すべきなのかなぁ、とか思ったり。)
と書かれていて,これが前回の最後で書いた
僕がいま考えている仮説が「RPG のプレイヤには自分のキャラクタを表現したい,もしくはキャラクタを通して何かを表現したい,という欲求がある」というものです。
と微妙に絡んできたりします。
最近は D&D3/3.5 のプレイヤがメインで,上の power-gaming を主に楽しんでいるわけですが,この場合「自分のキャラクタを表現したい,もしくはキャラクタを通して何かを表現したい」の「何か」というのは,「自分のキャラクタが上手く機能すること」つまり「冒険をこなす上でパーティの役に立てること」であり,要するに D&D3e では「戦闘で役に立つこと」です(単純化して言えば,ですが)。
これは「キャラクタを適切にデザイン(取得する特技や技能,上級クラスを取捨選択)すること」と「セッション中に,デザインしたとおりに適切に運用して力を発揮すること」の二つのパートに分かれます。
で,D&D3e だと膨大なルールがありますので,自分のクラス以外はほとんど未知の領域(読んでられません)であり,他のプレイヤがどんなキャラクタを作ってくるのかとても楽しみです。上手いプレイヤはこちらの予想を2段階くらい上回るキャラクタを作ってきてびっくりしますし宮本さんが指摘している通りとても面白い。
状況はマスタにとっても一緒ですべての特技や上級クラスを把握するなんてできないので「なんじゃそりゃー」ってキャラクタが多いようです。まあプレイヤみたいにのんきに喜んでばかりもいられず,シナリオの調整には四苦八苦しているようですが。
一方で,キャラクタプレイが好きな人と言うのは,例えば仮想光線さんの文章で取り上げられている例を見るに,
- キャラクタが絡んでできていく物語
- キャラクタが実在するかのように演じて見せるところ
- キャラクタが格好良く活躍するところ
を参加者に鑑賞して欲しいと感じているようです。
また,ルーンクエストや深淵のようにキャラクタの背景や心情を深く設定するような RPG では,
- 設定を如何に上手く自然にシナリオに沿わせるか
- シナリオの中で如何に「キャラクタ」を他のプレイヤやマスタに伝えるか
といった点が「RPG のプレイヤには自分のキャラクタを表現したい,もしくはキャラクタを通して何かを表現したい,という欲求がある」の「何か」に当たります。
**
このように,強い RPG を好む人たちにしてもキャラクタプレイ愛好家にしても「RPG のプレイヤには自分のキャラクタを表現したい,もしくはキャラクタを通して何かを表現したい,という欲求がある」という点では共通しているのではないか,というのが前回の日誌で出した仮説です。
でもってこの着想は,実は白河堂さんの「『Scoops RPG主催 RPG全国共通一次試験』」に対する回答(特に設問3の回答)を作っていく中で浮かんだ考えがベースになっていたりします。
同じ行動であっても他のプレイヤにそれを伝える上でどうプレゼンテーションするか。そこから他のプレイヤはそのプレイヤ/キャラクタのパーソナリティを読み取る機会を得る。これが RPG のコミュニケーション的特性である。
って辺りですね。