2005/6/18 14:24
about "「キャラクタープレイング論」その3"
仮想光線さんが Scoops RPG にキャラクタープレイング論の第3弾を投稿していました。
今回,前半はキャラクタの特徴,とりわけ性格について。後半はキャラクタをどう表現するか,そのテクニックについて,という感じ。
GURPS のキャラクタ作成システムは「物語創造」に向いていない,というのが前半のハイライトで,なるほど,その通りですが,改めて考えてみると元々 GURPS ってそういう設計じゃないので向いていないのも当然。なのでそれをもって「失敗」とするのはちょっとかわいそうかな。
僕が思うに「人物シミュレータ」でもない。もし「人物シミュレータ」を目指してデザインしたとすれば,「不利な特徴」なんてあまりにも偏っている。
ゲーム上の制約をプレイヤ側からデザインできるようにしたのが GURPS のキャラクタ作成システムで,つまりゲーム性を高めるための仕掛けの一つです。
Pendragon の Trait はプレイヤに訴えかけてくるものがとても強いというのは同感。1回しか遊んだことがありませんがとても良いシステムだと思います。
「PLが平等と言うこと」と名づけられた節は短いですが興味深く,当初僕が想定していたよりも仮想光線さんはラディカルに「物語創造」を考えているようだ,と思いました(節のタイトルは「PL」ではなく「PC」の間違いっぽいですが)。
問題は「プレイヤに対して平等」についてどう考えるか,という点です。大半のシステムでキャラクタの強さが平等になっているのは,戦闘シミュレーション云々は本質的には関係なく(PC が,ではなく)プレイヤが活躍できる機会を平等に与えるための措置です。
物語という観点からみると,PC の強さが平等というのは何の意味もない,というのはその通りだと思いますが,じゃあ,と PC の強さをばらばらにすると,弱い PC を割り当てられたプレイヤは一般に不満を持つわけで,「PC の強さはばらばらにすべき」と主張するのであればこの不満を解消する方法を提示することが必要です。
方向性としてはたぶん二つで,一つは「PCの強さ」と「セッションで活躍できる度合い」の相関を無くすようなシステムにすること。
漫画や小説などのフィクションでは(少なくとも最初は)何の力もない少年が主役を張っていたりします。ただそのシステムをRPGに落とし込もうとすると簡単ではありませんが,既に『深淵』がその実現にかなり成功していると評価しています。
もう一つは「活躍できる度合いが違う」ことで生じる不満を消し飛ばすような別の大きな満足をプレイヤに与えることです。
仮想光線さんの回答はたぶん「物語創造」がそれだ,ということになり,それは正しいと思いますが,その価値観を具体的にどうプレイヤに浸透させるか,を詰めないと絵に描いた餅になってしまうと思います。
Scoops RPG 「読者の声」の原文へのリンク
「キャラクタープレイング論」その1
「キャラクタープレイング論」その2
「キャラクタープレイング論」その3 「物語の中のキャラクター」
前回の感想
Re:「キャラクタープレイング論」その1
Re:「キャラクタープレイング論」その1(続き)
Re: 「キャラクタープレイング論」その2
今回,前半はキャラクタの特徴,とりわけ性格について。後半はキャラクタをどう表現するか,そのテクニックについて,という感じ。
GURPS のキャラクタ作成システムは「物語創造」に向いていない,というのが前半のハイライトで,なるほど,その通りですが,改めて考えてみると元々 GURPS ってそういう設計じゃないので向いていないのも当然。なのでそれをもって「失敗」とするのはちょっとかわいそうかな。
僕が思うに「人物シミュレータ」でもない。もし「人物シミュレータ」を目指してデザインしたとすれば,「不利な特徴」なんてあまりにも偏っている。
ゲーム上の制約をプレイヤ側からデザインできるようにしたのが GURPS のキャラクタ作成システムで,つまりゲーム性を高めるための仕掛けの一つです。
Pendragon の Trait はプレイヤに訴えかけてくるものがとても強いというのは同感。1回しか遊んだことがありませんがとても良いシステムだと思います。
「PLが平等と言うこと」と名づけられた節は短いですが興味深く,当初僕が想定していたよりも仮想光線さんはラディカルに「物語創造」を考えているようだ,と思いました(節のタイトルは「PL」ではなく「PC」の間違いっぽいですが)。
問題は「プレイヤに対して平等」についてどう考えるか,という点です。大半のシステムでキャラクタの強さが平等になっているのは,戦闘シミュレーション云々は本質的には関係なく(PC が,ではなく)プレイヤが活躍できる機会を平等に与えるための措置です。
物語という観点からみると,PC の強さが平等というのは何の意味もない,というのはその通りだと思いますが,じゃあ,と PC の強さをばらばらにすると,弱い PC を割り当てられたプレイヤは一般に不満を持つわけで,「PC の強さはばらばらにすべき」と主張するのであればこの不満を解消する方法を提示することが必要です。
方向性としてはたぶん二つで,一つは「PCの強さ」と「セッションで活躍できる度合い」の相関を無くすようなシステムにすること。
漫画や小説などのフィクションでは(少なくとも最初は)何の力もない少年が主役を張っていたりします。ただそのシステムをRPGに落とし込もうとすると簡単ではありませんが,既に『深淵』がその実現にかなり成功していると評価しています。
もう一つは「活躍できる度合いが違う」ことで生じる不満を消し飛ばすような別の大きな満足をプレイヤに与えることです。
仮想光線さんの回答はたぶん「物語創造」がそれだ,ということになり,それは正しいと思いますが,その価値観を具体的にどうプレイヤに浸透させるか,を詰めないと絵に描いた餅になってしまうと思います。