2006/5/14 2:37
『Aの魔法陣』の楽しさはどこにあるか
久々に「GM日記」が更新されていました。相変わらずクオリティ高し。
『Aの魔法陣』についても載っていました。
あの後,いくつかの紹介サイトを見てみました。
「どう遊ぶと面白くなるのかどうもイメージできませんでした」という原因にはいくつかあると思いますが,まず,ルールブックに載っている例が良くなかったんだと思います。「良くなかった」というのは僕向けじゃなかった,と言う意味です。
「Aの魔法陣」で花見というテーマですら遊べるは分かったんですが,「それって面白いの?」というのが根源的な疑問。例を読む限りでは「これは面白そうだ」とは思わなかった。
また,巻末のリプレイも,まあこのサイトを読んでいる人なら容易に想像つくと思いますが,…まああのノリにはついて行けそうにありません(^ ^;)。
ルールブックにも書いてありますとおり,従来のタイプのシナリオを遊ぼうという場合は既存のRPGシステムでやった方がずっと楽しく手軽に遊べると思います。
しかし一方で,熱狂的なファンも多数いるRPGです。強烈に人を惹きつけるだけの魅力が僕に隠れて存在しているはずです。というわけで,いくつかのサイトを回って考えてみました。
TRPGの本質とAの魔法陣(でみのげーむ)
旧来のRPGは,「共通認識の作成」を「システム(ルールや背景設定)を読み込むこと」によって相当程度行えるよう,またそれをプレイヤやマスタに期待してデザインされています。
しかしシステムですべてを記述することは出来ませんし,読み込んだ結果の解釈も人によってズレが生じます。そうしたズレやこぼれ落ちた部分を掬うのがセッションの場でのマスタとプレイヤ間のやりとりであり,それは補完的な役割にすぎませんでした。
一方,「Aの魔法陣」は,このように従来補完的な役割に過ぎなかった部分をゲームの中核に持ってきています(上の引用記事に従えば)。ここが,「人を選ぶ」と言われる最たる部分なのでしょう。つまり,「どこを楽しむか」という層(レイヤ)が,「Aの魔法陣」と旧来のRPGとで異なっているのです。
「共通認識の作成」をセッションの場で築き上げることが楽しい人,あるいは「システムを読み込むこと」を面倒だ,苦手だと思う人は「Aの魔法陣」を楽しく遊べるんだと思います。
一方,「共通認識の作成」をセッションの場で築き上げるなんて面倒なだけだ,あるいは「システムを読み込むこと」が楽しい人は,旧来のRPGを好むでしょう。
この構図は,前に書いた「TRPGの苦労は買ってでもしよう」と同じといえます。
並べると次のようになるでしょうか。
世代が増えるごとにシステムで提供する範囲が増えていましたが,なんと第4世代で反対のベクトルに進みました。
さて,「Aの魔法陣」を同じメンバで遊び続けて,過去の判例という共通認識ができあがってくるとその時どうなるのでしょうか。「共通認識」は飽和状態に近づき,セッションの現場で「共通認識の作成」を行う割合はどんどん低下していく,と言うことが予想されます。「共通認識の作成」を楽しみにしているというのであれば,楽しめる部分は少なくなっていくことになります。
しかし,ひょっとするとそこからが楽しいのかもしれません。ちょうど,いきなり作った9レベルのキャラクタと1レベルから育て上げたキャラクタでは遊んでいるときの感覚が全然違うように。
とはいえ,そういった予感があると言うだけで根拠も実例も何もありませんが。
『Aの魔法陣』についても載っていました。
あの後,いくつかの紹介サイトを見てみました。
「どう遊ぶと面白くなるのかどうもイメージできませんでした」という原因にはいくつかあると思いますが,まず,ルールブックに載っている例が良くなかったんだと思います。「良くなかった」というのは僕向けじゃなかった,と言う意味です。
「Aの魔法陣」で花見というテーマですら遊べるは分かったんですが,「それって面白いの?」というのが根源的な疑問。例を読む限りでは「これは面白そうだ」とは思わなかった。
また,巻末のリプレイも,まあこのサイトを読んでいる人なら容易に想像つくと思いますが,…まああのノリにはついて行けそうにありません(^ ^;)。
ルールブックにも書いてありますとおり,従来のタイプのシナリオを遊ぼうという場合は既存のRPGシステムでやった方がずっと楽しく手軽に遊べると思います。
しかし一方で,熱狂的なファンも多数いるRPGです。強烈に人を惹きつけるだけの魅力が僕に隠れて存在しているはずです。というわけで,いくつかのサイトを回って考えてみました。
TRPGの本質とAの魔法陣(でみのげーむ)
GMの頭の中の状況をPLと共有する事を『共通認識の作成』とし、PLの行動を『行動宣言』という言葉で表すならAの魔法陣は、ただひたすら『共通認識』と『行動宣言』を繰り返すシステムである。
旧来のRPGは,「共通認識の作成」を「システム(ルールや背景設定)を読み込むこと」によって相当程度行えるよう,またそれをプレイヤやマスタに期待してデザインされています。
しかしシステムですべてを記述することは出来ませんし,読み込んだ結果の解釈も人によってズレが生じます。そうしたズレやこぼれ落ちた部分を掬うのがセッションの場でのマスタとプレイヤ間のやりとりであり,それは補完的な役割にすぎませんでした。
一方,「Aの魔法陣」は,このように従来補完的な役割に過ぎなかった部分をゲームの中核に持ってきています(上の引用記事に従えば)。ここが,「人を選ぶ」と言われる最たる部分なのでしょう。つまり,「どこを楽しむか」という層(レイヤ)が,「Aの魔法陣」と旧来のRPGとで異なっているのです。
「共通認識の作成」をセッションの場で築き上げることが楽しい人,あるいは「システムを読み込むこと」を面倒だ,苦手だと思う人は「Aの魔法陣」を楽しく遊べるんだと思います。
一方,「共通認識の作成」をセッションの場で築き上げるなんて面倒なだけだ,あるいは「システムを読み込むこと」が楽しい人は,旧来のRPGを好むでしょう。
この構図は,前に書いた「TRPGの苦労は買ってでもしよう」と同じといえます。
並べると次のようになるでしょうか。
- 第1世代…D&D(物理法則に関する共通認識をシステムで提供)
- 第2世代…Rune Quest(物理法則と背景設定に関する共通認識をシステムで提供)
- 第3世代…FEAR系(物理法則と背景設定と物語に関する共通認識をシステムで提供)
- 第4世代(?)…Aの魔法陣(システムでは共通認識を提供しない)
世代が増えるごとにシステムで提供する範囲が増えていましたが,なんと第4世代で反対のベクトルに進みました。
さて,「Aの魔法陣」を同じメンバで遊び続けて,過去の判例という共通認識ができあがってくるとその時どうなるのでしょうか。「共通認識」は飽和状態に近づき,セッションの現場で「共通認識の作成」を行う割合はどんどん低下していく,と言うことが予想されます。「共通認識の作成」を楽しみにしているというのであれば,楽しめる部分は少なくなっていくことになります。
しかし,ひょっとするとそこからが楽しいのかもしれません。ちょうど,いきなり作った9レベルのキャラクタと1レベルから育て上げたキャラクタでは遊んでいるときの感覚が全然違うように。
とはいえ,そういった予感があると言うだけで根拠も実例も何もありませんが。