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kilica
2005/6/18
- 仮想光線さんが Scoops RPG にキャラクタープレイング論の第3弾を投稿していました。
Scoops RPG 「読者の声」の原文へのリンク
「キャラクタープレイング論」その1
「キャラクタープレイング論」その2
「キャラクタープレイング論」その3 「物語の中のキャラクター」
前回の感想
Re:「キャラクタープレイング論」その1
Re:「キャラクタープレイング論」その1(続き)
Re: 「キャラクタープレイング論」その2
今回,前半はキャラクタの特徴,とりわけ性格について。後半はキャラクタをどう表現するか,そのテクニックについて,という感じ。
GURPS のキャラクタ作成システムは「物語創造」に向いていない,というのが前半のハイライトで,なるほど,その通りですが,改めて考えてみると元々 GURPS ってそういう設計じゃないので向いていないのも当然。なのでそれをもって「失敗」とするのはちょっとかわいそうかな。
僕が思うに「人物シミュレータ」でもない。もし「人物シミュレータ」を目指してデザインしたとすれば,「不利な特徴」なんてあまりにも偏っている。
ゲーム上の制約をプレイヤ側からデザインできるようにしたのが GURPS のキャラクタ作成システムで,つまりゲーム性を高めるための仕掛けの一つです。
Pendragon の Trait はプレイヤに訴えかけてくるものがとても強いというのは同感。1回しか遊んだことがありませんがとても良いシステムだと思います。
「PLが平等と言うこと」と名づけられた節は短いですが興味深く,当初僕が想定していたよりも仮想光線さんはラディカルに「物語創造」を考えているようだ,と思いました(節のタイトルは「PL」ではなく「PC」の間違いっぽいですが)。
問題は「プレイヤに対して平等」についてどう考えるか,という点です。大半のシステムでキャラクタの強さが平等になっているのは,戦闘シミュレーション云々は本質的には関係なく(PC が,ではなく)プレイヤが活躍できる機会を平等に与えるための措置です。
物語という観点からみると,PC の強さが平等というのは何の意味もない,というのはその通りだと思いますが,じゃあ,と PC の強さをばらばらにすると,弱い PC を割り当てられたプレイヤは一般に不満を持つわけで,「PC の強さはばらばらにすべき」と主張するのであればこの不満を解消する方法を提示することが必要です。
方向性としてはたぶん二つで,一つは「PCの強さ」と「セッションで活躍できる度合い」の相関を無くすようなシステムにすること。
漫画や小説などのフィクションでは(少なくとも最初は)何の力もない少年が主役を張っていたりします。ただそのシステムをRPGに落とし込もうとすると簡単ではありませんが,既に『深淵』がその実現にかなり成功していると評価しています。
もう一つは「活躍できる度合いが違う」ことで生じる不満を消し飛ばすような別の大きな満足をプレイヤに与えることです。
仮想光線さんの回答はたぶん「物語創造」がそれだ,ということになり,それは正しいと思いますが,その価値観を具体的にどうプレイヤに浸透させるか,を詰めないと絵に描いた餅になってしまうと思います。
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kilica
2005/6/13
- 唐突ですが僕は FEAR 系の RPG が嫌いです。え,知ってるって?
システムそのものはまあ良いというか NOVA などはトップクラスに入る出来の良いシステムだと思っているのですが,システムが想定している標準的な遊び方というか哲学が嫌いなのです。D&D で言えばダンジョンシナリオが嫌い,みたいなもの。
なので FEAR の RPG が「あんなのダメ」とか「クズ」とか言うんじゃなくって「嫌い」です。
それはなぜかというと,おそらく僕が RPG において疑似体験的な指向をかなり強く持っているからだと分析しています。
当然,疑似体験を妨げるような要素は極力排除したいと考えており,その阻害要因の最たるものが FEAR 系の RPG に付き物の「プレイヤの視点でセッションを進める」という考え方です。
そうではなくって「キャラクタの視点でセッションを進める」というのが僕のやりたい RPG です。
例えば,「登場判定」というのは「プレイヤの視点でセッションを進める」典型といえます。PC がその場面に登場する必然性に欠けるのであれば登場すべきではないし必然性があるなら判定なんていらないでしょう。
僕から見ると無理やり理屈をこねて登場させてもその時点で面白くなくなっちゃうんです。現実味を失って白けてしまう。
「登場判定」については「シーンに登場できなくってうだうだしているよりはまし」という「必要悪」としてならまだ受け入れないでもないですが(まあうだうだしている方がまし,というセッションも中にはある),「お話として面白くなる」とかいう理由でなされるものは拒否度がさらに高くなります。
「ご都合主義」とか「お約束」が大嫌いなのです。正確に言うと,「お約束だから」とか「こっちの方が話が面白くなるから」という理由で行動したり話を進めたりするのが嫌いなのです。
「こっちの方が話が面白くなる」なんてほとんどはその人の幻想で,単に「話を台無しにしている」だけです。
なので「結果的にお約束な展開になったね」ならまったくOK。
またハンドアウトで「セッションが進む中でヒロインと仲良くなる」という指示が書いてあったりするそうですが,これも受け付けられません。
ヒロインと仲良くなるかどうかはどんな出会いをしてどんな言動をするかをキャラクタの視点から観察して「ああ,これならこの PC は好感を持ちそうだ」と感じれば仲良くなるでしょうし「いけ好かないやつ」と感じれば無理に仲良くしたいと思いません。
無理に仲良く振舞ってもプレイヤにとってメリットがありません。「仲良くなる」という指示があるという事はきっと後でマスタがイベントシーンでも用意しているんでしょうが,無理に「仲良く」なってイベントが発生してそれでプレイヤは感動(というと大げさですが)できるんでしょうか? 形をなぞっているだけでそれって形骸化しているとしか僕には思えません。
似ているように思うかもしれませんが,「PC は既にヒロインと仲良くなっている」とか「PC はこれこれこういう女性がもろストライクゾーンだ」という設定であれば受け入れられます(あんまりな設定でなければね)。
「これこれこういう女性」がヒロインとして現れればたぶん仲良くなるでしょう。それが自然でありキャラクタにふさわしいと思うからです。
以上のように疑似体験を阻害する「プレイヤの視点からセッションを進める」スタイルは嫌いなのですが,一方で僕は現実主義者なので常にメリットとデメリットを天秤にかけます。上のような理想に反していたとしても,その理想をとるデメリットの方が大きければ妥協することもあります。依頼を引き受けないとその日暇になっちゃうとか……。
なので「必要悪」としてなら受け入れる準備があるのですが,FEAR の RPG はそうではなくって僕の嫌がるようなスタイルを積極的に推し進めているので嫌いなんですよねえ。相性が最悪です。
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kilica
2005/6/12
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半年振りくらいに出ました。ここ1年くらいに新たに発売になったボードゲームを50作品ほど取り上げています。いつもどおりフルカラーで綺麗なボードや駒の写真がたくさん入っていてあれこれ買いたくなります。
この雑誌(?)を買うまで,ボードゲームの新作がこんなにたくさん出ているものとは知りませんでした。年に数作かと思ってた(^ ^;。
中には明らかに奇をてらっているというのもあるんですが,それにしてもそのテーマの多様性は RPG の比じゃありません。その何でもゲームにしちゃおうという貪欲さが RPG にももうちょっとあってもいいような気がします。
いい本ではあるんですが 3,500 円はちょっと高いなあ。
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kilica
2005/6/11
- コンピュータの処理性能の向上によって最近では地球規模の減少をモデル化しシミュレートするという事も可能になってきましたが,依然として長期的な未来を予測することは不可能です。
昨年,環境・健康・社会などの専門家が集まり,どの問題を優先的に解決するべきかを話し合い「コペンハーゲン合意」というものを発表したそうですが,その中でも結局は,問題も対処法もはっきりしている課題(飢餓や HIV,マラリア)から順番に片付けていこう,という結論に。
これは,将来のことについては不確定な事柄が多すぎるため当然ともいえます。例えば地球温暖化についても,数十年後には化石燃料資源の枯渇によって温室ガスの排出が減るかもしれないし太陽活動の低下によって進む寒冷化と相殺されるかもしれません。
もっと身近に,自分の40年後に備えることを考えても,不確定要素は大きすぎます。変動を繰り返しながら現在程度の景気が続くのか,20世紀初頭のような恐慌が襲っているのか,年金制度は破綻していそうだけど,そもそもまだ生きているのかも怪しい。到底予測なんてできそうにありません。
そこで,正確な将来の予測の代わりにとられる現実的な解決策として,幾つかの「シナリオ」を描いてそれを比較検討し,最も適したシナリオに沿って行動していく「シナリオプラニング」と呼ばれる手法があります。
先ほど例に挙げた40年後に対する備えに当てはめると,「日本経済が恐慌に陥っていた場合」「日本経済が不況に陥っていた場合」「日本経済が現状を維持していた場合」「日本経済が高度成長期のような活況を呈していた場合」という想定のシナリオをそれぞれ分析・比較し,最も適当と思われるシナリオに対する対策を実行していくわけです。
じゃあどれをどうやって選べばいいんだ,という疑問がわいてくるわけですが,最悪のケースを想定してそれに対応できるようにする「予防原則」という方針と,想定した事態が発生したときの影響額に発生確率をかけ,対策費用と比較して採否を決める「費用便益分析」と呼ばれる手法があり,EU 諸国は前者を,USA は後者を採ることが多いそうで,確かになんとなくそんなイメージがあります。
以上が日経サイエンス2005年7月号の「不確実な未来をどう扱うか」という記事のあらましで,記事では第3の方針である「頑健な戦略」をとるのが良いという主張が出ていますが,興味がある方は買って読んでください。
でこっからが本題です。もちろん RPG の話です。
「先を考えるプレイ」で書いたように,「問題が起こってパーティが呼ばれて対応することになった」という構造のセッションよりも「パーティが現状を分析した結果,深刻な問題が発生することが予測されそれに対する対応をとることにした」という構造のセッションの方がゲームとして面白くなるだろうと考えています。
つまりプレイヤが現状を分析し,「シナリオ」を描いて比較検討し,対策を実行する,というセッションになるわけです。
ただ,プレイヤたちがシナリオを描けるほど十分に現状についての情報をマスタ側で準備・提供できるか,という問題があり,テーマによって向き不向きはあるだろうと思います。
また多くのプレイヤ(僕もそうだけど)はそういったプレイに慣れていないというか「自分でシナリオを描く」という発想からしてそもそもありませんので,プレイヤたちがそうしたスタイルに慣れるまではマスタ側からの相当のプッシュが必要になると思います。さもなくば「自由に動いていいといわれたけど何をしていいか分からない」という例の困った状態と同じ事態に陥ってしまうでしょう。
どうすればこういったセッションが上手く機能するかについても,今後考えてみたいと思います。
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kilica
2005/6/6
- 先週は深夜勤務などがあってあまりサイトのチェックなどできませんでした。
Tales of the Dragon\'s Tail の \"It is OUR world\" も Deck of Many Things で取り上げられていなければ完全に見落としていました。
ここで例として取り上げられているトロウルへの対応は見事。このエントリはブックマークしておきたいですね。
実は,僕が遊びたい「キャラクタプレイ」ってここに書かれているものとぴったり一致しているといっても良いくらい。
「キャラクタ」を中心に楽しむのならせめてこれくらいの深みはもたせたいものだと思うのですが,巷のリプレイなどを見るとどうもステレオタイプとお約束とご都合主義で塗り固めたようなキャラクタが多くて,どうも何を「キャラクタプレイ」と呼ぶかについてズレを感じます。
しかし Rune Quest だとこんな風に遊んでみたくなるんですが,D&D だとそういう気分にあまりならないのは何故かなあ。
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kilica
2005/5/31
- 『神饌喰い。』の「ミニゲームデザインという生き方」で白河堂さんが書かれていた
>考え方
考え方はまったく同じだと思います。
ただ、ここで自分が強調したいのは、
「んじゃ、やってみる?」
と、すぐにシーン独立型セッションを立ち上げられる準備をしながら生活しているゲームマスター人口を増やす、ということですね。つまり、自分が本当に求めているのは、シーン独立型セッションではなく、シーン独立型ゲームマスターである、ということです(笑)
についてです。
「なるほど,すごい」と思いました。僕には出来そうにないなあと思ったからなのですが,でもなんで「出来そうにない」と思ったのだろうか,というのを考えてみました。
同じようなケースで,ボードゲームであればできます。大学のサークルで,4,5人集まれば『ファーストフード・フランチャイズ』や『アクワイア』をよくやっていました。また2人でも『マジック・ザ・ギャザリング』を遊んだり。
これは別に特定のゲームをやろうと意気込んで集まったわけではなく,ちょっと暇な連中がたまたまそろったので「じゃあやろうか」ということになって,実際に始められるわけです。
ところが RPG だとそうは行かなくって,いろいろ準備が必要になります。プレイヤにはキャラクタが必要ですし,マスタにはシナリオが必要です。このうち PC はプレロールドで済ませることもできますし,クラシックD&Dあたりなら作るのにさほど時間もかかりませんので,その場で作ることで解決できます。
しかしシナリオのほうは(僕にとっては)そう簡単にはいきません。そりゃ僕だってフルアドリブでそれなりのセッションはこなせますが,シナリオの作っていないセッションというのは認められないのでやろうと思いません(このあたりについてはまた機会がありましたら)。
別の方法としては市販のシナリオを使うというのもありますが,それだって事前にそれなりにシナリオを読み込まないと安定して楽しむことはできません。
ボードゲームはちょっと集まればすぐに始められるのに RPG はそうは行かない。なぜ RPG はシナリオが必要なのでしょうか?
ボードゲームの場合,ゲーム性を提供する要素は二つあって,それはサイコロや伏せられたカードによる「ランダム性」と「競争相手」です。
「ランダム性」は,例えば1回の手番を使ってイベントカードを引くか,とっとと先に進むか迷わせる,といった葛藤を提供します。いいカードを引けば選択は正しかったといえますが,つまらないカードを引けば1回を無駄にしてしまいます。「ひいてみるまで結果が分からない」という不透明性がゲーム要素を提供するわけです。これは RPG にも当てはまり,「戦った方がいいか逃げた方がいいかはダイスを振ってみるまで分からない」といった状況がそれにあたります。
一方,ボードゲームのもう一つのゲーム性である「競争相手」はほとんどの RPG には欠けている要素です。
競争相手の存在によって,ゲームの先の展開が読めなくなり,それがゲーム性となります。将棋などの完全情報ゲームのゲーム性はもっぱらこの要素からなっています。
一方,RPG でその代わりを果たしているのがシナリオ(とそれを運用するマスタの存在)です。シナリオがどう展開するか見えないため,プレイヤは悩むことになるのです。例えば,ダンジョンの残りの部屋が1つなのか3つなのかで,魔法やアイテムをどれだけ使うべきか変わって来ますが,マスタには分かってもプレイヤには分かりません。そこで安全策をとるか全力を投入するか悩むわけです。
同じシナリオをプレイヤとして何回も遊ぼうとするとあまり面白くならないのは先の展開が見えて葛藤にならないからです。言ってみれば,相手がどう動くか予め確定してわかっているボードゲームのようなものですね。
このように,RPG の場合はゲーム性を確保するために毎回違うシナリオを用意する必要があります。一方,多くのボードゲームでは,ゲーム性は対戦相手の存在が提供してくれるので,同じボードで何回も遊ぶことができます。
この構造が理解できれば,とるべき道も幾つか見えてくるのではないでしょうか。
一つは,PC 間の競争を取り入れ,何度も遊べるようなシナリオを作ることです。『深淵』の「落雷」がこのようなシナリオの代表といえます。
もう一つは,作れるのかどうかわかりませんが(^ ^; シナリオのごく一部のパーツを変えるだけでまったく違った様相を見せるシナリオを作ることです。カオスな振る舞いをするシナリオですね。
単純な例を出すと,同じシナリオでも A の味方として遊んだ場合と B の味方として遊んだ場合でぜんぜん違ってくるとか。
三つ目の方向性としては,「ランダム性」を突き詰めたシナリオにすることです。たぶんこれが一番簡単でハック&スラッシュの戦闘だけのシナリオがその代表といえるかと思います。
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kilica
2005/5/28
- Amazon.co.jp で \"Paranoia xp: Recycled\" を注文したらこれが届きました。ISBN は一緒なのでタイトルが変わったのかな。
表紙も amazon.co.jp とは違っていて,ボッティチェルリの『ヴィーナスの誕生』をパロった代物になっています。内容は 1980 年代の Paranoia の古典的シナリオの xp 向け復刻。当然読むことが許されるセキュリティクリアランスはUVだ。
- Mini-missions
- Vapors Don\'t Shoot Back
- \'The YELLOW Clearance\' Black Box Blues
- Send in the Clones
- Me and My Shadow Mark 4
- Alpha Complexities
- Code 7s
まあお買い得なのではないかと思います。特に僕の場合,Paranoia のシナリオを上手く作れる自信がありませんしね。
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kilica
2005/5/17
- Scoops RPG の「読者の声」に仮想光線さんのRe: 「キャラクタープレイング論」その2が掲載されました。その1はちょっと前に取り上げました。今回もなかなか面白いので取り上げてみます。
Scoops RPG にもトラックバックできるといいんですが。
Scoops RPG 「読者の声」の原文へのリンク
「キャラクタープレイング論」その1
「キャラクタープレイング論」その2
前回の感想
Re:「キャラクタープレイング論」その1
Re:「キャラクタープレイング論」その1(続き)
最初に,全体的な感想としては着眼点は前回同様,なかなか興味深いものがあり,考えさせます。
しかしこれまた前回同様,敷衍する例示が不適切で論理展開も詰め切れていない部分が見受けられ,「「より面白い物語創造をする」のが RPG の目標である」という根幹の主張についてはやや説得力に欠けます。がここで事細かにあげつらっても益はありませんので,仮想光線さんの指摘を発展的に捉えてみたいと思います。
さて,今回はまず最初に,RPG を遊ぶ「目標」は「より面白い物語創造をする」であるとしています。この「物語創造」という言葉が適切かというといささか怪しいと思いますが,ともあれこの一文はもちろん非常に重要です。”RPGの本質はゲームでありすなわち意思決定である”というのが馬場講座を支える土台であり,それを首尾一貫して講座の中で展開していったところに馬場講座の力強さがあると僕は見ているのですが,その土台の代わりを提示しているわけです。
上手くやれば RPG の別の面が見えてくるかもしれません。
で,仮想光線さんの主張をばっちり理解できているかと言うとイマイチな部分もあるのですが,もともとの文章が馬場講座を意識したものになっていますので,それぞれが RPG をどう捉えているかを対比してみましょう。
すぐ分かるかと思いますが,左側の青い方が馬場さんのRPGの捉え方を図にしたもので,右側が仮想光線さんの方を図にしたものです(正確には馬場さんがRPGをこう捉えていると僕が理解している,ですが)。
簡単に説明しますと,馬場講座での RPG の捉え方は次の通りです。
RPG はゲームである。ゲームである以上,意志決定が最も重要である。その意志決定は,
を要素として備える。
そして RPG は,この最も大切なゲーム性を支援する方向でデザインされる(べきである)。すなわち,
のいずれもが,よりよい意志決定を支援するようデザインされているのである。
いっぽう,仮想光線さんの主張をこれに対比させると次のようになります。
RPGは物語創造の遊びであり,物語創造にとってはキャラクタが魅力的であるというのが最も重要である。今のところ,キャラクタが魅力的であるための要素や条件についてはまとまった提示がない。
そして RPG は,この最も大切な物語創造を支援する方向でデザインされる(べきである)。すなわち,
のいずれもが,より魅力的な物語創造を支援するようデザインされているのである。
さて,僕は仮想光線さんの図にあるように RPG はデザインされていないと思っています。少なくとも,今の RPG がそうだ,というのであれば,無駄な部分が多すぎるし必要な部分は足りないと思っています。しかし,徹頭徹尾,仮想光線さんの提示したコンセプトでデザインされた RPG というのもなんだか非常に面白そうで見てみたいという気はします。
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kilica
2005/4/23
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クトゥルフ RPG のヴァリエーション。ダークエイジは中世ヨーロッパのことで,時代は紀元 950 ごろを扱っています。ちょっと珍しい年代ですが,千年紀の終わりに設定したかったという事でしょうか。
ベースシステムは D100(ベーシックロールプレイング)の方ですが,邦訳は新紀元社から出ています(新紀元社が前に出したのは D20 版クトゥルフの邦訳)。
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kilica
2005/4/22
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フォーゴトンレルムのモンスター集。4,000円というのはちょっと高い気がします。ふつうに遊ぶ分には基本のモンスターマニュアル1冊で困ることはほとんどないでしょうから。
この中からモンスターを出せばフェイルーンらしさがもれなく出せる,というのであればいいのですが,そうとも言いがたい。
むかし5レベルくらいのパーティに,この中から脅威度5の Banelar というモンスタを選んでぶつけたところ,えらく不評でした(^ ^;。
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kilica
2005/4/19
- TRPG Search の今月のアンケートは,「今後が最も楽しみなブログは?」です。
投票の詳細については,ニュースをご覧ください。
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kilica
2005/4/19
- 『深淵』のデザイナ朱鷺田さんのblog で『深淵』の展開についてちょこっと書かれています。
もともと初版の段階で,ルール的に必要な要件はすべて盛り込まれているような RPG でしたので,個人的には初版より整理されすっきりした形で2版が作られるといいなあと思っているのですが,さあどんな形になるのでしょうか。
blog に掲載された魔族のデータを見る限りでは,大きな変更はなさそうな気配。
「攻撃」が1?4に分かれていて,単純な攻撃ばかりでないのはちょっと興味深いところです。
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kilica
2005/4/17
- 前回のつづきです。
取り上げていた記事は,こちら。
「キャラクタープレイング論」その1 (by 仮想光線)
Deck of Many Things の 2005.04.16 の記事「[Link] So-called "Character Playing" 」で取り上げられましたが,同日の記事「[Link] Delights of GMing 」では,
なるほど、power-gamingの楽しさというのは、ゲーム性云々ではなくDMの味わう驚きという側面から改めて再評価すべきなのかなぁ、とか思ったり。)
と書かれていて,これが前回の最後で書いた
僕がいま考えている仮説が「RPG のプレイヤには自分のキャラクタを表現したい,もしくはキャラクタを通して何かを表現したい,という欲求がある」というものです。
と微妙に絡んできたりします。
最近は D&D3/3.5 のプレイヤがメインで,上の power-gaming を主に楽しんでいるわけですが,この場合「自分のキャラクタを表現したい,もしくはキャラクタを通して何かを表現したい」の「何か」というのは,「自分のキャラクタが上手く機能すること」つまり「冒険をこなす上でパーティの役に立てること」であり,要するに D&D3e では「戦闘で役に立つこと」です(単純化して言えば,ですが)。
これは「キャラクタを適切にデザイン(取得する特技や技能,上級クラスを取捨選択)すること」と「セッション中に,デザインしたとおりに適切に運用して力を発揮すること」の二つのパートに分かれます。
で,D&D3e だと膨大なルールがありますので,自分のクラス以外はほとんど未知の領域(読んでられません)であり,他のプレイヤがどんなキャラクタを作ってくるのかとても楽しみです。上手いプレイヤはこちらの予想を2段階くらい上回るキャラクタを作ってきてびっくりしますし宮本さんが指摘している通りとても面白い。
状況はマスタにとっても一緒ですべての特技や上級クラスを把握するなんてできないので「なんじゃそりゃー」ってキャラクタが多いようです。まあプレイヤみたいにのんきに喜んでばかりもいられず,シナリオの調整には四苦八苦しているようですが。
一方で,キャラクタプレイが好きな人と言うのは,例えば仮想光線さんの文章で取り上げられている例を見るに,
- キャラクタが絡んでできていく物語
- キャラクタが実在するかのように演じて見せるところ
- キャラクタが格好良く活躍するところ
を参加者に鑑賞して欲しいと感じているようです。
また,ルーンクエストや深淵のようにキャラクタの背景や心情を深く設定するような RPG では,
- 設定を如何に上手く自然にシナリオに沿わせるか
- シナリオの中で如何に「キャラクタ」を他のプレイヤやマスタに伝えるか
といった点が「RPG のプレイヤには自分のキャラクタを表現したい,もしくはキャラクタを通して何かを表現したい,という欲求がある」の「何か」に当たります。
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このように,強い RPG を好む人たちにしてもキャラクタプレイ愛好家にしても「RPG のプレイヤには自分のキャラクタを表現したい,もしくはキャラクタを通して何かを表現したい,という欲求がある」という点では共通しているのではないか,というのが前回の日誌で出した仮説です。
でもってこの着想は,実は白河堂さんの「『Scoops RPG主催 RPG全国共通一次試験』」に対する回答(特に設問3の回答)を作っていく中で浮かんだ考えがベースになっていたりします。
同じ行動であっても他のプレイヤにそれを伝える上でどうプレゼンテーションするか。そこから他のプレイヤはそのプレイヤ/キャラクタのパーソナリティを読み取る機会を得る。これが RPG のコミュニケーション的特性である。
って辺りですね。
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kilica
2005/4/14
- 4月の ScoopsRPG が更新されました。
その中で興味深く読んだのが,「読者の声」の「キャラクタープレイング論」その1 (by 仮想光線)です。
やはりキャラプレ指向な人との隔たりは大きいようで,内容そのものは全然賛同できないのですが,RPG というものを考えるにあたって良いきっかけとなりました。
最初に,キャラクタプレイや「なりきり」が RPG において推奨されることであるという証拠として次のような論を展開しています。
「あなたはガンダルフになってみたいと思いませんか?」
昔から、MERP、ストームブリンガーやクトルゥフのように原作の小説に立脚したTRPGもたくさんあります。
これらでは、PCは物語のキャラクターであることを強く意識させられます。
確かに、TRPGの出身母体はウォーゲームであります。
しかし、ウォーゲームであっても
「山本五十六になって鬼畜米英を打ちのめしてみたい」
が、ウォーゲームを遊ぶ主たる理由であるのではないのでしょうか?
この物語、歴史上の人物の「なりきり」をより深く楽しみたいというのがTRPGの出所であると、私は認識しています。
ところが,これは仮想光線さんの主張(「有名なキャラクタになってみたい」)を敷衍する例としては不適切です。原作のキャラクタを遊ぶ RPG で成功したと言えるものはありません。日本ではそもそもそういった RPG そのものが少なく,MAGIUS くらいではないでしょうか。
原作のキャラクタを遊ぶというのは,TRPG の遊び方としてメジャとは到底言いがたいでしょう。
原作付きの RPG と言った場合,システムが再現しようとするのはキャラクタではなく世界であり,また世界観です。「ガンダルフになってみたい」ではなく「ガンダルフのいたあの世界でガンダルフのような活躍をして遊んでみたい」なのです。RPG が誕生した頃も今も変わりません。
やはり「なりきり」は RPG の指向とは,ずれた指向と言えます。
ここで考えたいのは「何故 RPG では原作キャラクタで遊ぶシステムが勢力を持たないのか」という点です。
僕がいま考えている仮説が「RPG のプレイヤには自分のキャラクタを表現したい,もしくはキャラクタを通して何かを表現したい,という欲求がある」というものです。
原作キャラクタでは,原作のキャラクタ以上のものは表現できません。仮に表現したとすれば,それは「原作のキャラクタらしくない」失敗と見做されてしまうからです。
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kilica
2005/4/13
- 追加です。
キャラクタ管理ツールで,こちらは Windows 専用。その代わり動きは軽快です。
Redblade
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一般
kilica
2005/4/9
- D&D3.5e のクレリックで遊ぶことに。そこでお世話になったサイトのご紹介。
PCGen
フリーのPC管理ソフト。PC/Mac両方で動きます。
ver.5.8くらいだとだいぶんよくなっています。
昔は自分が止まった時の中を動いているんじゃないかと錯覚するような速さでした。
また,独自の特技やドメイン,神格,呪文などを追加・管理するのが楽になりました。
CDS:PE
このサイトはとにかく実践的です。すぐに役に立つ資料がいろいろダウンロードできます。
J-Staff
今回舞台とするフォーゴトンレルムのコアミアの概略が上手くまとめてあります。見やすいです。ちなみにコアミアはAD&Dに分類されています。
他にもいいサイトがありましたら教えてください。
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一般
kilica
2005/4/8
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Paranoia xp のサプリメント。
タイトルの通りミュータントパワーの追加ルール集で,基本ルールに掲載されているものも含めて60以上のミュータントパワーが載っています。正直言ってそんなにいらんだろうという気はしますが。
基本ルールのミュータントパワー解説では簡単な説明が付されていただけですが,本書では加えて「ヴァリエーションと制約されたパワー」「”不幸な出来事”が起きると…」「やりすぎだ!」の3つの項目が解説されています(意訳しています)。
Paranoia とばっちり波長が合ってしまう人はいいですが,そうでない場合は後2者は直接の参考にもなりますし,「Paranoia はこんな感じでやればいいのか」という Paranoia そのものを理解する役にも立つかと思います。
ページ数的には少なくなりますが,「アルファコンプレックスにおけるミュータント」とかミュータント要素を上手くシナリオに組み込むヒントも載っていますので,こちらも役に立つ…というか笑えます。
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一般
kilica
2005/4/6
- Dundjinni の新しい追加アートパック \"Street Art Pack\" のサンプル画像が掲載されています。 → Dundjinniの紹介
現代、近未来の都市用の追加アートパックのようで、ダンジョンと同じく見栄えのする地図が作れそうです。
サンプル1
サンプル2
サンプルを見ていると、Street Art Packの場合は、地図を作るというよりもシナリオのシーンを描いてプレイヤに見せる、という使い方を想定しているように見えます。
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kilica
2005/4/1
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今頃ですが,D&D3.5e の Complete Divine を購入。
ほんとうは日本語版が出るのを待とうと思っていたのですが,今度クレリック系をやることになったので。
クラシックの頃から数えても,クレリックをやったのは確か1回だけ。秘術系の呪文に比べると決まった使い方の呪文が多いので,使うタイミングがポイントになるのかな。
ドメインがたくさんあって全部検討しきれません(^ ^;。
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一般
kilica
2005/3/20
- 「RPG シナリオ作成の道具箱」が先日 1,000 ヒットを超えました(Xoopsに移ってからのカウントなので,実際にはもっと前だったと思われますが)。
「RPG シナリオ作成の道具箱」とは,当時の氷川がそれまでに培ってきたシナリオ作成のノウハウと「馬場秀和のマスターリング講座」のシナリオ作成理論を元に,シナリオの要素をコンポーネント化しそれを組み立てることによってシナリオを作るというRPGシナリオのヴィジュアル開発環境(うそ。PCのソフトウェアではありません)とでもいうべき作品です。
研究室に上がっている論考の中では1,000ヒットを超えたのはこれが最初。というか他のは300-500ヒットくらいなので,ヒット数で行けば2,3倍とダントツです。
また,ごく稀に絶賛のお便りをいただくほぼ唯一の作品でもあります。
せっかく1,000ヒットを超えましたしもうすぐ5周年ですし,改訂版を作るか追加セットでも作ろうかと見直してみましたが・・・・・・ショック。
なんと,完璧すぎて見直すところがありませんでした・・・・・・というのは冗談で,見直すところが見つからなかったのはその通りなんですが,それは出来が完璧だったからではなく,要するに5年前から進歩がないという事を如実に物語っているわけですよ。がっくし。
でもせっかくなのでまた忙しくなる前にマイナバージョンアップでもしたいものです。